せいふく



節分?なにそれおいしいの?









豆的な意味では美味しいのかもしれない。

二月は節分にバレンタインに忙しいよな。



どこかで見たけど、女性は男性に麦チョコ投げつけとけば一気にふたつの行事が終わって楽です。

忙しい人向け。









写真いっぱいのっけたりしたかったけど、ほとんどが携帯で撮ったものなのでそれをパソコンに移動するのがめんどくさくて。

前から書こうと思ってたものを書きます。





前も書いたけど、これは僕の考えなので鵜呑みにしないでください。







『ありふれたせかいせいふく』

ピノキオ feat.初音ミク













曲単体でも、PVで見てもすごいインパクトですよね。

数回見たら覚えちゃうような。中毒性というか。
全体的に曲調はポップではねるように進んでいくんだけど、どこか黒いものが見え隠れする。



僕はなんとなくネットのこと歌ってるのかな、って思いました。

もしかしたらもっと身近で日常的なことかもしれないけど、なにしろ僕の思考回路は物事をデカく捕らえたがるので勝手にそれで納得してます。



ネットのうた。

いじめじゃないかっていうのもあったけど、まぁそれも一つとして。



Aメロの「教室」って言葉と「せいふく」って言葉で学生をイメージしました。

閉じられた空間でお互いをちらちら見ながら「空気を読む」。

皆がイエスといえばイエスなのです。

外れたやつは吊るされるわけです。舌打ちされる。痛い目に遭う。

いじめっ子と言われるヤツ、いじめられっ子と言われるヤツ。所詮どちらも同じ人間です。

だけど、レッテルを貼られる。コイツは勉強の出来るやつ、キモいやつ、バスケ上手いやつ、おもしろいやつ、めんどくさいやつ…
「カッコいい子」とか「かわいい子」はみんなが憧れるポジションです。一度はなってみたい。みんなの信頼を集めるポジション。
そんな「君」に逆らえるわけも無く。





そんな教室っていう閉じられた空間はネットを連想する。なぜか。





「ありがとう」とか「おはよう」とかそんな軽い挨拶も懐かしい言葉となってしまうような希薄な人間関係。

少年も大人も一緒になってバカしてる。



お互いの顔を見ることなく、大した礼儀も気遣いもなく言葉を振り回してる。それがなんだかネットを連想します。





「いらいらポイ捨てグランプリ」っていうのもわけもなく誹謗中傷炎上で競うようにワイワイやってる人らみたいですし。
ネット上で世の中を斜に構えたような皮肉だとか、汚い言葉をわけも分からず使ってるのはだいたいガキですし。



ケータイで恋人に愛をささやいたり掲示板で赤の他人をめちゃくちゃに詰ったりしてますけど、どちらも向こうに居るのは人間ですし。



サーロインだとかツバメの巣とかで自分を飾ってみても

影でどんな人が何やってるかは知れたものじゃない。

そういうのは考え出したら怖いから目をつぶっていたいのだけれど…





自分の感情や、行動をネットに書く。ブログとか、ツイッターとか。

でもよく考えたらそれって誰もが見ている。ツイッターなんか下手すりゃ家までバレてしまう。

そうやってネットで「繋がっている」相手はどんな人か分かってるのか?







ワケも分からん人と繋がりを持てば幸せなのか?

必ず繋がりを持っていなければ「仲間ハズレ」になるのか?

「プロフィール」というパスポート。自分を切り裂いてグラム売りしているような。



選択の瞬間

というのは警鐘なんでしょうか。





別れるときに言う言葉。

「さよなら」とか「おやすみ」とか「また明日」とか。

誰に向けた言葉でもなくなる時が来る。

ただの呟きとして。





誰かみんなを助けてー。













書いていてもよくわからん。

プロフィール(パスポート)というレッテル、その向こうにいる生身の人間、それをみんな忘れていって。

ネット上には「繋がり」がたくさんあるけど、それはどれほど強固なものなのか?

どれほど筒抜けなものか?



ネットは閉じられた空間だ。みんな現実を持ち込んでいるのだから当然だ。

骸骨はレッテルを全て剥がしてやった姿。

絆創膏は傷口を隠す。裏にあるドス黒いものを隠す。





また気が向いたら追記します。






















アユセ