なんで?


この国での子育ては過酷だ。
赤ちゃんが泣けば誰もが顔をしかめて舌打ちをする。
子どもが走り回ればおとなしくさせろ、と言う。
輪から外れる子がいれば叱って正さなければならない。

確かに気に障るのかもしれないし、危険かもしれないし、規則に従うことを覚えさせなきゃ社会で生きていけないかもしれない。
でも子どもなんてそんなもんだ。
騒がしくって、ちょっとしたことで興奮して、すばしっこく走り回るくせに、前を見ないから人とぶつかったりして。
集中力は持たないし、生意気だし、そのくせ大人ぶる。
それが子どもだろう。ちょっと思い出せばわかるはずだろう。
どこに先生や親の指示に素直で勉強がダイスキで元気で運動もできて他人を思いやれてマナーもしっかりしている子どもがいる?
そんなつまらない人間いるわけない。
理想として目指すものなのかもしれないけれど、子どもはおとなを見て育っていくわけだからおとなの言動がちゃんとしてれば大して教える必要はないと思う。
おとながちゃんとしてればの話だけど。

子どもが騒いでるのを見て、まぁだいたいの人は「鬱陶しい」と思う。
…たぶんみんな自分に必死なのだ。
「ああ、あの頃は俺もあんなアホだったなぁ」みたいなことを考える余裕もないんだろう。
それより「今の自分」がどれだけ毎日を快適に過ごせるかということにしか興味ないのかも。


バイトの関係でたまに小学生の相手をしている。
放任主義の僕としては子どもの好きにさせたいんだけど、させたときの周りの大人の目が怖い。
壊れたミニカーのごとく走り回る子どもを一瞥し、
「お前ちゃんと注意しろよ」「迷惑なんですけど」
という風な目線をガンガン送ってくる。
それにあてられ続けていると『人様の迷惑になっている』という不安が『自分のしつけがなってないからだ』という責任感、『自分が子どもを抑えなければならない』という義務感へとバケツリレーのように発展し、「どうしておとなしくしてくれないのっ!」という悲嘆と怒りの入り混じった叫びとなる。
でも大抵「なに言ってんだこいつ」と困惑するか面白がられておわる。
子どもはそんなつまらないお叱りの言葉なんて聞いてくれない。

僕は最悪そういう類の目線を無視することにしている。ひどい時は注意するが、普段はむしろ「おいおいちゃんと前見て走り回れよ」とか言う。
迷惑なら自分で叱ればいいのだ。
赤の他人に叱られたほうが「いいか、ちゃんとまっすぐ歩けよ」とか「おい走るな!」とか僕が言うより余程効果がある。「なんか知らない人に迷惑をかけてしまった」って自覚を子どもはちゃんと持つ。

まぁ叱り方にも問題はあると思う。
なんか、いきなり怒鳴りつける人が多いような気がする。
『いままで散々我慢してきてやったんだからこのくらいは言わしてもらう』みたいな意気込みでハラの中身を全部吐き出して、ふぅ、みたいな。
そうじゃなくって、「まぁ気持ちはわかるけどさ、」みたいな叱りかたを所望します。
いったん子どもにナメられるとこの叱りかたは消しカス以上に役に立たないんだけど、知らない人なら効果はバツグンだ。
子どもは心臓にやさしい程度にびっくりするので、案外素直に聞いてくれる。しかもこっちとしては「ほらさっきあの人に注意されたやろ」と自分の発言に熨斗をつけることができてお得な二段構えとなっている。

一番よくないのは(あいつらうるせぇなぁ…)と睨み続けることだ。
イライラして健康に良くないし子どもは人様の迷惑になっていることに気づけない。
まぁこの現代いきなり声をかけると「しらないおじさん」の仲間入りをしてしまう可能性があるので気をつけろ。
ちなみに僕は叱る勇気は無い。


子どもなんてみんなうるさいもんだ。
言う事を聞かせるのすら難しい。
みんなそれを忘れてしまっているように感じる。
たまに親にとっての「良い子」がいるが、それは親に褒められたいがために自分を変えてしまったのかもしれない。
それではただの「都合の」良い子だ。
でもそれが間違っているとは言えない。
だからといってまったく好きにさせるのが正しいとも言いきれない。


子どもに無関心な人が多い。
今日ちょっとした機会があってそう思った。




あゆせ