なんでもない

ふと顔を上げると、窓が明るい。いい天気なようだ。

天気がいいと、日向ぼっこをしたくなるもので、目を細めながら軒先に出て、なんとはなしに座って陽だまりを眺めてみる。

こんな時、ぽつりと寂しさを感じてしまうことがある。



彼は僕が小学生の時に家族となり、大学生の時に逝ってしまった。つい去年のことだった。

数年前の彼は大変元気で、子どもっぽくて、エサや散歩の時間には体いっぱいに跳ねたりしていた。毛が長い時は抱き心地がよかったし、散髪の後のくりくりした目も可愛かった。あまりに可愛いものだから近所の方に覚えられ、ついでに自分の珍しい苗字も覚えられ、知らないうちに顔も知らないような知り合いを増やしていた愛すべき存在だ。軒先に彼が寝そべっているのがいつもの風景だった。



そんな彼は僕が大学に入った頃から体調を崩し始めた。僕が慣れない大学にかまけている間に彼はびっこを引くようになった。跳ねることもなくなり、ずっと丸くなったままどこかつまらなさそうにすることが増えた。忙しそうにしている僕を興味なさげに一瞥することが増えた。

あまり構ってやれなかったからかもしれない、と今になって思う。散歩も餌やりも僕の仕事ではなくなっていた。犬は自分の身体のことや、「死」をうまく理解できないと聞いていたが、衰えていく身体にただ戸惑っていたのかもしれない。どこか無気力に見えたのも、あるいは。



晴れた日は、よく軒先で並んで陽にあたり、庭の木なんか眺めたりするようになった。特に何をするでもなく、彼の少し癖のある毛をいじりながらのんびりしていると少し気持ちを共有できた気がした。僕だって戸惑っていたんだ。よくわからない数式や点数に。命には関わらないだろうけど、その時の僕の世界にはそんなものがぎゅうぎゅうに押し込まれていた。

クルマのエンジン音とか電車の音とか、昼間の喧騒がどこか遠くの街の事みたいで、ため息みたいな鼻息とか、つぶやきみたいなうなり声が時々もれたりして、それが少し可笑しかったりした。

幸せと言うには地味すぎるし、平和と言うには余りにこじんまりとしている。でも僕は好きだった。



あのなんでもない時間を目の前にふと見つけたような気がして、あわてて辺りを見渡してしまった。










あゆせ