惰性に流れて





気がつけば 年末過ぎて 俺焦る それにつけても 金の欲しさよ




うむ。
あふれんばかりの才能をかんじる詩ができた。
今の俺の心境と状況を見事に言い表しておる。


っていうかどんだけ万能なんですか、この下の句。
今日新聞読んで知ったんですけど、山崎宗鑑って人が発明したらしいです、この下の句。
「なんだかんだ言ってても、結局金の事しか考えてねぇんじゃねえか」
などというツッコミはなんとか抑えつつ。
わかりやすく言うと、



   〜〜〜前略〜〜〜




   〜〜〜中略〜〜〜




   〜〜〜後略〜〜〜




金ほしい

って感じですかね。




あ、ダメです。
くだらない事書いてたら何を書こうとしてたか忘れました。






とりあえず。


この前部室で一人でボーっとしている時間があって、それで、よく考えたら滑っても転んでも、あぁ、いやいや、どれだけ事が上手く行ってもここ(学校)に来るのはもう数えるほどなんだなぁ、なんて思う事があって、不審者よろしく校内を行ったり来たり歩き回ったことがありました。
半分ウソですが。
学校というのは勉強を除けばつまらないところでして、そもそも勉強自体がつまらないと思っている僕にとってはつまらないものからつまらないものを引いたところで何も変わりはしませんし、文字通り学校から勉強を取ってしまえばがらんどうの廃墟の如く、むなしく風が割れた窓ガラスを叩く音が聞こえてきますが、もちろんウチの学校は廃墟じゃありません。ボロっちいですが。
勉強とはヒマな人のすることでありまして、それから行くとエネルギーのありあまっとるその辺の若者達に勉強やらせとくことは非行に走らせないためのとっても合理的で素晴らしく忙しいもんだと自分は把握しておりますが、ウチの学校はなるほどそういう意味ではとても素晴らしい環境であります。
周りにコンビニもなければゲーセンも無い。男子校であるので目を開けばむさくるしく、目を閉じれば下世話な会話が飛び交います。麓のお嬢様校(ただの女子高)はサル山と言い捨てられ、毎日の電車通学はまるで動物園の檻に迷い込んだかのようだと全校生徒は口を揃える。学校まではすぐそこ30cmを車がひっきりなしに爆走するハイキングコースを競うように登り、途中からはホントに山道になっちゃうからアラ不思議。エスカレータかリフトをつけろと言う声もありますがもちろん出来るはずもなく、それを掲げた生徒会長立候補者は漏れなく落選への道を駆け抜けていきました。
それでは、校内は?
これもまた皆さんの考えうる中でももっともつまらない部類に入るでしょう。
もちろん水族館はありませんし、学園のマドンナもいません。筋肉隆々とした先輩方ならいます。「男でいっか」と目覚め始めるものもいます。ああ、そういえば、保健の先生はなかなかの評判でした。昼寝しにいくとか喋りに行くとか、とにかく適切な利用はしていなかったと聞いていますが。あとは、食堂が高いとか、高い割りに美味しくないとか、裏メニューが存在するとか、それに景色が良いくらいですね。山の中腹に立地しているので、夜なんかは思わず写メってブログに載せちゃうほどであります。海側の校舎の四階からは瀬戸内海が見渡せまして、別に日本海でも太平洋でもカスピ海でもいいんですが、こう、天気のいい日なんか向こうの方に大阪のビル郡が見えたりして、・・・・・・・・・つまんないところであります。
それで先日、部室でのんびりしていたときにいろいろ見ておりました。部室というのは校内で唯一の謂わば私物でありまして、私物化しようとした後輩が顧問にぶちのめされているのを何度か目撃したことはほんの些細なことであります。まあいろんなものがあります。誰のかわからないジャージや、スリッパ以下に成り下がったシューズ、駒の足りないボードゲーム、あとはガスコンロに冷蔵庫やぎっしり詰まった本棚に回線の布かれた最新型PCなど後半は全てウソですが、この前こんな落書きを発見しました。

























いつもは扉の影に隠れたところにひっそりと、これは書いてありました。98年といえば今から13年前、年度で言えば14年前、その頃何があったのか現社に疎い僕にはさっぱり分かりませんが、ただ、13,4年前にも同じようにこの部室で、バカ騒ぎしていた先輩がいるのだと思うと僕は正にその歴史の積み重ねの中にあるのだという実感が沸々と沸いてきまして、僕も未来の後輩へ向けてこの高尚なる思いをぜひ残したいとやや使命感に駆られ立ち上がったのですが、僕はペンなるものを持ち合わせておらず、その上既に同級生がアイドルの名前を書き連ねたものが視界を一刀両断していきましたので、やむなくその場に立ち尽くすのみとなりました。
2/10という事はちょうど、センター試験を乗り越え、残すところ二次という頃でしょうか。その頃の彼らが、壁と壁とに挟まれたようなところに立っていた彼らが、一体何を思ってこのようなことを書いたのか。この落書きを見たとき、僕はまさにそこにいるかのような心地でした。








随筆というのは、川に浮かぶ船のようだと僕は常々思っています。
向こうに見える、まるで記憶のようにすこし霞んだ岸辺の景色をぼんやり眺めながら、思考の海をゆっくりと進んでいく。
それは一見進んでいないようで、しかし気がついた頃には最初とは全く違うところにたどり着いている。
随筆を読んだ後の、緩やかな心の変化が僕は好きです。