いいわけ





説明しよう。
記事タイトルでもう言い切ってしまっているので、ここでは何を言っても「あぁ・・・言い訳なんだな」と生暖かい目で見守(スルー)ってもらう事ができるのだ。









受験になって、いろんなことが制限されて、それは自主的であったり強制であったりしたんだけど、なんやかんやと趣味の増えた僕にとってはかなりの痛手で、その中にはもちろん「読書」ってのもあるわけで、もう本をちゃんと読まなくなって久しいんだけど
読まなくなってから明らかに読解力ってやつがなくなってきてて、そりゃあ文章なんて問題文でイヤなほど読むし、それどころか授業で解説なんかもやったりするわけで、でもこれはわかってもらえると思うけど、自分が「読みたい!」って思って読むのと人から「ハイこれ」って渡されて読むのとじゃあ全然違うくて。
しかも問題文として読むときはそれが物語だったとしても絶対に感情移入することは解く上で許されなくって、ずっとどこか客観的な、冷めたような目で眺めていなくちゃいけなくって。
文章をグラム等分でバラにして解答ってやつを作んなきゃいけなくて、でも、そんなのって、やっぱり、ぜんぜん面白くなくて、力ずくであわせたピースみたいに、どこか歪に変形してるみたいな感触がずっとあって。
答え見ても、それが正しいんだっていくら論理的に、「何行目のこうこうこういう表現からどれどれそういうことが分かる」なんていくら言われても理解はできても納得はできなくて。
そうやってモヤモヤしてたら、気づいたら文字がすんなり入ってこないようになってて、もうこんな時期なのにって焦ったりして、でも読めなくて、「僕はこうやっていつしか字面しか追えない人間になっていくんだろうか」って急に怖くなって。
思えば本読んでた頃はその視線の動きとか情景とか言葉の流れとか並べ方とか言い回しとかそんなのがすんなり入ってたの思い出して。
なにかそういうものを僕は失っていってるんだって思ったらホントに怖くなっておわったら読もうと思ってる本とかももうその本当の面白さを感じることが出来なくなってるんじゃないかとか
少し前までは、これまでの自分が積み上げてきたちっぽけだけど確かにかけがえのないだろうものを信じて「これから」を見ようと思えたけど
こうやって望んでも無いものばかり選ばされて、同時に欲しかった選択肢を手放すことを強要されるんであれば今がそんな重要には思えなくなってきて
過去も未来も見ないでただ「今」だけを謳歌してる人たちがわかんなくなってきた。















あゆせ